体験談

断酒は、断酒会に参加する事の繰り返し! 断酒会に参加する事によって同じ環境の仲間達と体験談を話し、断酒時の自分を見つめ直す事の繰り返しなのです。 断酒は一人より仲間が必要なのです。 あなたがこのホームページを見ていると言う事は断酒したいと思っている事ではないでしょうか? 又は、お酒の問題に悩んでいるのではないでしょうか? 少しの勇気とあなたのその思いで一緒に頑張りましょう。
依存症は恥ずかしい病気ではありません。 アルコール依存症は酒を飲む人なら男女を問わず誰でもかかる可能性のあるごく普通の病気なのです。 アルコール依存症の推定患者数は全国で82万人です、また、重篤な問題飲酒者は220~240万人と言われています。 恥ずかしがるような特別な病気ではありません。気軽に最寄の断酒会を見学して見ませんか。 あなたと同じ悩みを解決し、酒のない楽しいライフスタイルをつくった会員たちが、あなたを暖かく迎えてくれます。
あなたは、お酒で悩んではいませんか? あなたは、 自分の飲酒問題で悩んではいませんか。 酒が原因で体調を崩しているのに、 断酒は勿論、節酒も出来ないで焦っていませんか。 友人や職場の上司に注意されていませんか。こどもの目を恐れていませんか。 離婚話が出たことはありませんか。 もしそうだったら、 あなたはアルコール依存症になっているかもしれません。 こう書くとあなたは、「おれはアル中になるような駄目な人間ではない」と 猛反発すると思いますが、それはあなたがこの病気を誤解しているから。 アルコール依存症は酒を飲める人なら誰でもなるごく普通の病気です。 全国で220万人、慢性患者の中では1位で全ての病気をひっくるめても風邪に次いで2位という恥ずかしがるような特別な病気ではありません。 思い切って最寄の断酒会を見学してみませんか。 あなたと同じ悩みを解決し、酒のないライフスタイルをつくった会員たちが、あなたを暖かく迎えてくれます。
あなたは、巻き込まれてはいませんか? あなたは、 夫(妻)の酒に巻き込まれて、疲れきっていませんか。 あなたは酒を隠したり、捨てたり、飲み屋に飲ませないように頼んだり、説教したり、怒鳴ったりと、大変な毎日が続いていませんか。 そしてあなたは、 さまざまな努力が実を結ばないのに絶望して離婚を考えたりしているのではないのでしょうか。 そこで、まずあなた自身を変えることをお薦めします。 発想を変えて、冷静に夫(妻)の酒と向き合うのです。 面倒の見すぎや取り越し苦労をやめ、厳しい愛で夫(妻)を包んでやってください。 あなたが変わる事で、あなたの夫(妻)も変わるのです。 その為には、自分を変えて夫(妻)の断酒を成功させた、断酒会員の家族の話を聞くのが一番です。断酒会や家族会に参加してみませんか。 それがあなたにとって、最善の方法だとおもいます。

竹田京子さんの体験談

竹田京子さんの体験談

アルコール関連問題地域セミナーより

回復への道

家族の立場     竹田 京子

 

私は主人と結婚してから43年になります。三夫婦のところへ嫁ぐ事で実家の母には、「苦労が目に見えている、務まらないし私の体が心配だからあきらめる様に」何度も言われましたが「この人は頼りになるから何かあったら私をかばってくれる優しい人だから」と、結婚生活に入りました。我が家は農繁期になると天気の時は、朝仕事をしてから自分の仕事に出かけ、帰ってからは車のライトの灯りを頼りに夜の9時ごろまで作業をする農家でした。最初の子供がお腹にいるとき流産の恐れがあるから体を大切にと診断書が出ました。職場から病気休暇を頂いて休んでいると、朝5時になり主人は、農作業に出かけようとします。「今日から1週間病休が出ているから農作業が出来んけん、言っといてネ」と伝えました。しばらくして階段を上がってくる足音に忘れ物でもしたかなと思い休んでいると、泥のついた地下足袋をはいた義父が私の枕元に立って、「こら!出て働くだ。農繁期は一時の事、妊娠は病気ではない。義母は一度もそんな恰好はしなかった。お前は意志が弱い。さっさと出るだが」と言われ、土足で部屋に入られた姿を目の当たりにしびっくりして、私は人として家族と思ってくれないのだな、私の事は手間をもらったと思っておられるんだなと悲しくなったことが有りました。私にとっては厳しい家庭でしたが、それでも一度嫁いだ所、両親と仲良く頑張っていれば主人は機嫌よく仕事から帰ってくれるだろうという思いで一生懸命でした。先ほど主人が体験発表をしましたが、私も一緒に断酒会に出席してこうして語らせてもらう事で、主人は私の話から自分がしてきたことを認め、仲間の方々の話から気づきを頂き、酒を止め続ける努力をしてくれています。私も、もやもやとした心の膿を吐き出させてもらい仲間の皆様の話を聞き気づかせて頂いた事が沢山あります。

思い起こしてみますと共に暮らすようになり10年間は人並みな生活が出来ていたと思います。主人は、何か自分の思い通りにいかないと酒に逃げるようになって来た頃からだんだんと酒の量が増えてきて、飲酒運転はする、休みのとき昼間から飲む、目が覚めた夜中から飲む、仕事に出かけなくてはいけない朝から飲んでいる。末期のころになると酒が切れる時もなく1日中酒の臭いがプンプンする部屋の中で私達親子も過ごさなくてはならなくなりました。けじめのある生活をしてほしい、子供の前ではちゃんとして親らしい姿で過ごしてほしい。だらしなく過ごす主人の姿に悲しい気持ちにさせられました。私は飲酒運転がとても怖く自分だけの事故なら仕方がないと思えるかもしれませんが、相手がいらっしゃる様な事でもあればどうなる事か、どうしようと不安な気持ちで主人の帰りを待って姿が見えるまで眠れず不安な夜を何度も過ごしました。主人は仕事から帰ると息子とキャッチボールをしたりする父親でしたが、それもできなくなり少しずつ崩れていきました。

美味しい酒を飲み「ごちそうさん」が言える時期もありましたが、だんだんと「ごちそうさん」が言えない酒を飲むようになってきました。酒を飲み子供たちを見てくれない、私にとったらとても厳しい父の話を聞いてくれない、いくら注意しても飲酒運転はする、言えば子供だってわかる事、いくら言っても聞いてくれない、言えば「うるさい!」腹を立て酒に向かう主人、そして隠し酒、隠れ酒をする、何とかしよう、このままでは家族みんなが不幸になる。先の見えない生活の中、暗い暗いトンネルの中に入って、もがいてもがいても灯りが見えず私はストレスがたまり心も体もくたくたでした。私がいるからいけないかと自分を責めたり、死んだら楽になると思ってみたり、大切な子供がいるのに無責任だと思い返して、主人は父親としてどう思っているかと思ったり、また今日は家族があんなにいうから飲まずに帰ろうと思ってもしばらくすると酒に手を出してしまう、それが頭でわかっていてももう体が欲しがる病気になっていることも私は気づいて上げることもなく「こんなに私はあんたの代わりに後始末をし、子育て、家事、仕事、農作業と頑張っているのにどうして私の気持ちがわかってくれないの」と責めるばかりでした。仕事中に飲酒しているので何度も職場から呼び出しがありました。結婚するまで私も同じ職場に勤めていましたので、ほとんどの方と顔見知り、恥ずかしくて情けなくてとても惨めでした。そんな頃家では義父から「お前がついていて何とかしろと言ったのにどうしたことか、お前も一緒だ、お前がだらしないからだ」と言われ、義母には「男が駄目になるのはついている女房が悪い」と言われ、私も一生懸命頑張って働いている気持ちが強く、悔しくて(大きくなるまで育てたのはお母さんでしょ)口に出しては言えず心の中で叫んでいました。何とかしてほしい、でもできれば飲むことを止めて欲しい、義母と二人嫁姑の関係を超え、主人を何とかしようという思いは一緒で協力し合い、主人には立ち直ってほしいと願っていました。思いは通じず何をしてもどうにもならす私は思い切り泣きたかった。最初は風呂のシャワーで浴槽を洗っているふり、台所の水道の水を流し、片づけをしているふりをしながらシクシク泣いていましたが、もう大きな声を出したかった。家の中ではできず、また車の免許を持っておらず、今頃はサトイモがおいしい時期、サトイモは大きな葉が重なり合っています。その中に入って雨の日座り込んでワァーッと叫びました。義母が様子を窺がっていたのか近所に恥ずかしいから家の中に帰ってくれと迎えに来ましたが、すぐに立ち上がることが出来ない、そんな私がいました。主人は酒に狂っていましたが、私も巻き込まれて狂っていたと思います。

仕事から帰って来た主人に「お帰りなさい」と声を掛ける事も出来なくなり、顔を見れば「飲んで帰ったでしょう」聞かなくても顔を見れば分かるのに、聞いたって本当の事は言ってくれないのに、答えてもらわないと気が済まない私になっていました。子供の前での口論を何度も繰り返し、せっかく作った夕食も私の言った言葉に腹を立て、手で払いのけひっくり返され、その中で小学校へ上っていない娘は泣きじゃくり、私のエプロンを引っ張ったりモンペのゴムを手につかみ私の後ろに隠れたり、小学生の上の二人の子は上目づかいで私達を睨み返している。繰り返される親の姿がどう映ったでしょうか。散らかった食べ物を拾い、壊れた器を片付けながら惨めで仕方が有りませんでした。子供の前での喧嘩はもうやめようと思うのですが、デレッとした顔を見るとまた同じことをしていました。

そんな親の元で育った子供達からちゃんとお返しが来ます。酒を止めてくれて少しずつ家庭の中も穏やかな生活が送れるようになってから息子が成人してから10年間引きこもり、上の娘は口も重く自分をあらわさない性格に思います。スポーツも出来元気だった下の娘は名古屋の大学生活の時、うつ病にかかり、友達からの電話で飛んで行きました。沢山悲しませ傷つけ不安にさせていた子供たちに今は申し訳なかったと心から思います。私は妻よりも母よりも嫁としての立場をたくさん持って生活していたように思います。そうしないと私にも家に居場所がなく子供を守ってあげられない愚かな母親でした。主人の酒は家族の力ではどうすることもできませんでした。酒によって職をなくし入院しました。精神科はとても恥ずかしかった。勇気をもって断酒会に入会してもしばらくは堂々とできなかった。そんな自分を今はとても恥ずかしいと思います。主人が酒に溺れている時私は別れたかった、生活から逃げたかった。でも、今は逃げずに頑張ってきてよかったと思っています。

主人は入院を機に酒を止めて行こう、私は入院前の生活は二度としたくない、生活を変えたい、そういう思いで断酒会に出続けました。出ることは出来ても出続けることは努力も必要でした。主人が酒を止めてくれて4年半過ぎたとき、我が家で凛としてとても厳しかった義父が亡くなり、生活も少しずつ変わってきました。すると息子が外に出なくなり引きこもりの生活をすることになりなした。主人のアル中の時も苦しみましたが、腹を痛めた息子の姿を見るのはとても苦しく辛い日々でした。その生活にやっと慣れた1年半後義母が脳内出血で倒れ3ヶ月入院し、半身不随の体になり、車いす生活をすることになりました。私は仕事を止め介護生活に入り、我が家で足掛け12年。思えば大変でしたがその中で学ぶことも沢山あった様に思います。酒を止めてくれてホッとした束の間、次から次へと私を苦しめる問題が起きたとき、神様は私を何時になったら楽にしてくれるだろうかと思ったこともありましたが、心を痛め苦しかったとき、夫の協力また断酒会の皆様の力を借りて何とか自分を保つことが出来ました。仲間の方からたくさんの気づきを頂きまた、私の心に沢山詰まっていた気持ちを語らせて頂き主人の1日断酒の努力のお蔭で世間並みな穏やかな生活をさせて頂いております。

お酒と上手に付き合っていれば体の良薬になるのに、大好きなお酒を美味しく飲んでいればアルコール依存症に成らなかったのにと、止め続けている主人の姿を見ながら思うときもあります。薬を飲んで治療して治る病気ならどんなに良いのに、回復はあっても完治はないアルコール依存症は心の病気で回りの人達を巻き込み迷惑を掛けたり家族を苦しめる難病だと思います。私も1年半前人間ドックを受けたら悪性リンパ腫と言われショックでしたが、検査入院をし最終的には良性と言われた時、今度は神様からご褒美をもらった気持ちになりました。今は3ヶ月から半年を開け検査を受け続けている身です。いまの自分があるのは主人、子供達、産んでくれた私の親、厳しく育ててもらった主人の両親、回りの友達、そして助けて頂いた断酒会の皆様のおかげです。その方々に有難うの気持ちで一杯です。一生治らない病気の主人とこれからも体に気を付け1日でも多く酒のない生活が続けられる様協力をしていき、健康な生活が続けられる様頑張っていきたいと思います。今日は私達夫婦の体験談を聞いて頂きありがとうございました。

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